完全版マハーバーラタ 世界最長の叙事詩をピーター・ブルック以来の全編舞台化
2020年7月4日〜7日 なかのZERO大ホール

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舞台関係者のみならず各界著名人からコメントが届いています!

京都佛立ミュージアム館長
京都・長松寺/横浜・妙深寺 住職
長松清潤

「文に非ず、其の義に非ず、唯だ一部の意のみ。」
まずこの聖句が浮かんだ。境界線に立つ人類。超越する意志。小池博史氏の心象が生み出したアバターが乱舞しながら深層意識に波紋を起こしてゆく。
仏教の奥義と小池作品が通底して見えるのは何故か。
40年に及ぶ創作活動で到達した究極の舞台が普遍の題材により現出されようとしている。

文化人類学者今福龍太

蝶は風を受けて飛ぶ。いやむしろ、風を切って飛ぶ。いやさらにいえば、みずから風を孕み風を生み出す。
吹きすさび循環する大風のような物語。小池舞台はそんな物語を生成する未知なる蝶の飛翔だ。

パフォーマー、役者、演出/振付家、歌手、元シルク・ドゥ・ソレイユクラウン(道化師)Philippe Aymard

小池さんの全ての作品に共通するのは「宇宙」とのつながり。その繋がりは惑星が軌道を追うようだ…無限の空間と永遠の時間。星の輝き、光の速さ、ブラックホールの暗黒、無重力…広大な宇宙の美しさと力強さ、我々人類はいかに謎に包まれた矮小な存在であるか。小さな地球上の、さらに小さな舞台上に生み出されるマイクロ・コスモスの中で時間をコントロールする秩序は小池さんの作品に密かに組み込まれている。国境を越え俳優たちは観客を導き、時に問いかける。物語は人間性を映し出し、我々は自己を見つめる。そもそも演劇はこうあるべきであろう。お互いの存在を確認し、宇宙の一部であることを認識することができる場所。小池さんが創造する小宇宙に想いをはせる。

『風の旅人』編集長佐伯剛

ここにあるもの総ては何処にもあり、ここに無いものは何処にも無い」。この時代に古代インドが創造した世界最大の叙事詩「マハーバーラタ」を演出するうえで、小池博史ほど相応しい人物はいない。
隅々まで混沌としていて、隅々まで豊かな世界。マハーバーラタも、小池の舞台も、良し悪しの分別を超えた人間の全生命的な在り様を究極まで引き出している。
小池の情熱は、徹底的なリアルと自由に向けられている。人間の作り出すものはおしなべてフィクションであるが、そのフィクションが、人間の地上の現実と、人間の力を超えたもののあいだに架かる橋になった時に、人間は、そのフィクションを通じて、生きること全体のリアルを体感することができる。そこを目指す精神の運動こそが、真の自由だと私は思う。マハーバーラタと小池博史の表現の接点は、まさにそこにある。

アートディレクター葛西薫

小池さんからポスターの依頼を受けると、きまって自分の中に沈殿していた危なげな奇妙なナニモノカが浮かんできて、説明のつかない造形に結びついていく。その創作過程は、衣服を脱がされて遠い過去のどこかへ帰っていくようなほろ甘い経験であり、このことは、小池さんの舞台を観ているときに、だんだん演じ手たちに同化していく自分と同じではないかと気づいた。

作曲家、ピアニスト中川俊郎

小池博史の舞台は、様々な批評眼を擦り抜けていく。分類し安心しようとする眼の間を(…音楽の世界にもある眼だ)。やがてあるがままに物を見る子ども、または神?の眼線に気づかされる。 幾つものストーリーの同時進行の錯綜は、その「錯綜」自体が観客にとって自分の内面を映し出す鏡となる。善悪の二元的な審判を避け、世界を丸ごと受け入れる思想も含め。

漫画家今井大輔

光と闇の中で人が舞う。今まで様々な舞台を観てきましたが、「舞台」という言葉がこんなにしっくりくるものを初めて観ました。観た後で、今観たものを人に何と言って伝えるのか?演技と舞踊と絵画性...表現のカテゴライズが難しく、しばらくして、ああ、これが「舞台」かと。

金沢21世紀美術館副館長黒澤 伸

これでもか!というほど具もトッピングも替わり替わる全部入り。だから出来事のすべてをリアルタイムに感受するのはとても大変なのに、音、光、オブジェクト、色彩、リズム、言葉、動き、表情、どこにフォーカスしていても楽しめる。しかも観たあとには、そうした様々なディテールが自分の中で重なり合っている、というこの面白さ。

マーサ・グラハム・ダンスカンパニー・プリンシパルダンサー折原美樹

アジア6カ国のアーティストがぶつかり合い、そして一緒にこの作品に関わっている、言葉や宗教、文化の壁はなくなり、マハーバーラタが見えてくる。こんな作品は今までなかった。一人一人のアーティストの良さを、どのように小池さんは引き出すのだろうか?言葉の違いは?文化の違いは舞台の上では明らかに見えてくるはず、なのに、それさえも問題のない作品に仕上げる。この大作をやることじたいが大変なことなのに、それに手をつける。小池さんのアンビッションには頭がさがる。最終公演を迎えると聞いて、これは帰国をしてでも見に行きたい!

現代美術家、武蔵野美術大学客員教授栗林隆

小池さんとの出会いは、多くの人がそうであるように偶然的な必然だったと思う。そして彼の作品においても同じで、必要な時に出会えるべきして出会うものなのだろう。今の時代、同じ人間としてたまたま出会っているが、前世というものがあるのならばそれはお互い動物や自然であった気がする。作品がアーティストを作り、アーティストが作品そのものになる。本物の表現者というのは彼のことをいうのだろう。世の中偽物ばかりで疲れる。

コピーライター安藤隆

ススメ日本男児
パパ・タラフマラ演劇の宣伝コピーを書いていた。どの劇にも共通する小池さんの「構えの大きさ」を手掛かりにした。「大きさ」に同調しようと悪戦苦闘したあげく「小ささ」で破調するしかできなかったことが多かった。それが天の小池さんと地の観客をつなぐ凧糸になってくれればと思った、というのは言い訳。小池さんの顔は男らしくて凭れたくなる。北東南西中央アジアと連帯し世界を延命させようと踏ん張る日本男児といった趣だけど、ま、男たらしの顔ですかね。

俳優、声優今井朋彦

小池さんの舞台には、豊饒な『物語』が内包されている。
でもそれはパフォーマーの身体をとおして、肉声をとおして、その断片が示されるだけ。
その断片を編むのはわれわれ観客、ひとりひとりだ。
だれもが、来たるべき未来を生き抜くための『物語』を求めている。
だが出来合いの物語に安易に飛びついてはならない。
ひとりひとりがみずから編み上げた物語によって、未来もまた編み上げられていく。

工作舎編集者石原剛一郎

小池さんの作品は、チラシを手にした時から始まっている。日を追うごとに高揚感が高まり、劇場に足を運び、席に着き、幕が開いた瞬間、最高潮に達する。鍛え抜かれた俳優が躍動するさまには、もちろん釘づけになるけれど、毎回、圧倒されるのが音楽。「辺境系」というか「異郷系」というか。本格的なミュージック・コンクレートが飛び出してくることもある。「完全版マハーバーラタ」は、壮大な音楽絵巻にもなるのではないか。今から楽しみで仕方がない。

作曲家・尺八演奏家中村明一

小池博史の公演は、はっきりした言語が無い。それでは、何があるのか。そこには、現代ではとかく無視されがちな計量化、視覚化しがたい、非言語的なメッセージが。しかし、これこそが、我々の広大な無意識の領域間の遊戯とも考えられる。

首都大学東京 人文社会学部教授三宅昭良

小池博史の秘密
小池は建築家を目指していた。映画監督を夢見て年間300本以上観ていた時期もある。ジャズが好きで学生時代に400枚のLPレコードをもっていた。しかしダンスの経験はないと思う。にもかかわらず彼がコレオグラファーとして傑出しているのは、おそらくこうした志向のベースにアマチュア・レスリングがあるからだろう。呼吸のリズムと筋肉の緊張の微かな変化、眼の光の揺れのなかに敵の「次」を予測し、動く。極度の集中が多くの視線の焦点となる。その中心で人の心=身が時空を支配する感覚を彼はそのとき知ったのではないか。

舞踏家、即興ダンス岩下徹

小池博史氏の作品世界には、その根底に<肯定>が感じられる。作品上演中に舞台から幾度となく「否定」を突き付けられても!そのことは、最早この世界の何処にも殆ど希望を見出せなくなっている私達にとって、一筋の曙光のようなものかも知れない。そのようなものを、いつも感じさせて呉れる作家は極めて稀だろう。「よし、私もへこたれないようにしよう!」小池博史作品の終演後は、そんな決意を新たにし、独り無言で劇場を出る。

筑波大学名誉教授 哲学者谷川多佳子

長大な叙事詩マハーバーラタには、神々と人間、そして宗教、哲学、権力ーーその絡みあった混沌が部族の争いをとおして描かれている。小池さんはそこから、交錯するが、じつに具体的で鮮烈なイメージを引き出して、一種カオティックな、しかし消失しない舞台空間を作りだしている。異なる文化や国境を超える自由なノマドの想像力だろうか

観世流能楽師津村禮次郎

小池さんの表現スタイルは単に総合芸術であるというにはあまりに複雑で緻密で美しい。私は文学作品、詩作としての宮澤賢治作品には強い憧憬を持ってはいたが、私が「銀河鉄道」に参加させて頂いたときの彼の変幻自在の演出、日に日に変わりゆく作りには、古典芸能の意識と身体を持つ私は、ただ驚きの連続であった。
 小池さんが長大な「マハーバーラタ」の全編を、アジア諸国の優れたパフォーマー達と舞台作品に作り上げると知って驚くばかり。作品の完成を喜び、目にし耳にすることを楽しみに待ちたい。

株式会社トラフ建築設計事務所主宰禿真哉

小池さんの作品で手掛けた2つの舞台美術は、
身体の動きを制限しつつも拡張する、大きな家具のような存在だ。
その大きな家具は、演者の不思議な動きで軽々と扱われ、
不自由の先にも新たな自由度があることに気づかされる。
小池さんの舞台にはそういった価値観を覆す爽快さがある。

音楽家渋谷慶一郎

全く記憶が定かではないんだけど、今から15年以上前にひょんなことから知り合った小池博史さんがパパタラフマラの音楽を確か会ったすぐ後に頼んできたことは覚えている。ATAKという自分のレーベルを立ち上げたばかりの僕はレーベルの1枚目になるアルバムの制作に没頭していて、作りかけていた断片を送った記憶がある。出来上がった公演に招待されて観に行ったら、リリースする前の自分の音楽がパフォーマンスの中で予想しない印象で使われていて不思議な気持ちになったのと同時に、その軽やかな手さばきが新鮮でした。不思議な人ですね。

ダンサー、振付家、演出家 CHAiroiPLIN主宰スズキ拓朗

小池博史さんの作品にはかなり影響を受けています。かれこれ10年ほどちょくちょく拝見させていただいてますが、とにかくブレがありません。貫いてます。自分のというか、他者の心を貫いてます 笑。ダンス、あるいは演劇の考え方が変わるよと言って、友達を誘いやすいですね。僕にとってもお気に入りのダンサーである荒木さんや福島さん、森さんなどが出演しているのもシンパシーを感じます。

NHK編集局チーフプロデューサー白石章治

今、空間的広がりも、限りない時間の超越も、何より躍動する身体の自由を、自らの思想とともに獲得し、小池博史は、唯一無二の世界を構築し続けている

作曲家書上奈朋子

どこで覚えた訳でもなくDNAにあらかじめ備わってるものすごい求愛ダンスを「そのとき」が来たときだけする鳥たちのように「人間もそういう種族だった!」事が呼び覚まされる。うっかり忘れてたが確かにそうだ。すでにあるものが突然湧き上がり止まらない。「そのとき」こそ小池博史の舞台だ

映像作家、多摩美術大学准教授佐々木成明

小池博史作品について
小池博史の舞台作品では身体の躍動によるイメージや感情がパレードのように次々と繰り広げられる。ドタバタ喜劇のようでありながら、流麗で婉麗な時空間が作り出され、聖と俗が入れ子状態に複雑に交錯しているかのようだ。

南山大学人文学部人類文化学科教授奥田太郎

小池博史の手がける総合舞台芸術は、劇場全体を濃密な経験のかたまりに変えて、その場にいる者を決して「観客」としてほうっておかない。それを経験する者たちは〈そこで起きていること〉に引き摺り込まれ、嫌が応にもその「独断の微睡み」から覚醒させられる。一度経験したらもうそれ以前には戻れない、そんな不可逆性の愉悦がそこにある。五輪を少し迷惑に思っていたけれど、2020年、俄然楽しみになってきました。

写真家井島健至

小池博史さんが創り出す舞台は唯一無二。天と地を繋げ、過去と未来を繋げ、神と人を繋げ、“生命”そのものを出現させる霊性の儀式であり躍動する運動体のよう。分断と対立が加速する世界にユーモアと威厳を織り交ぜながら『人間とは?』と問いかけ、観る人に健全な揺らぎと深い気づきをもたらすことができる恩恵に満ちた稀有な作品世界だと感じます。

衣装デザイナー、武蔵野美術大学空間演出デザイン学科教授太田雅公

純粋に鍛えあげられた想像力、ダンサーや演者との身体の対話で生み出される偶然と必然、未知のクリエーションが僕たちをどのように導いてくれるのかとても楽しみである。

大妻女子大学比較文化学部教授佐藤実

世界を股にはさんだパフォーマンスに圧倒されました。「天に在りては象を成し、地に在りては形を成し、小池見(あらわ)る」

ファッションデザイナー浜井弘治

偶然にも24歳の時に「ピーターブルック演出/マハーラバーラタ 」を銀座セゾン劇場見て以来、演劇の世界に魅了され衣装プランナーとして小池作品に関わりました。時を経て、「小池博史演出/マハーラバーラタ」にスタッフで参加でき、この作品に縁を感じております。

編集者影山裕樹

パパタラ30年を通して芸術と社会の関係を考える『ロンググッドバイ』(青幻舎)の編集に携われたのはとてもいい経験でした。それまで観客としてしか演劇と関わることがなかった自分が、いかに作家=観客の関係でしか芸術作品を見ていなかったか、ということに気づきました。ものを作るには当然お金がかかる。純粋な作品制作を行うだけでなく、より広く社会と作品の接点を探る様々な取り組みを模索する小池さんのこれからに期待しています。

画家、アートディレクター、パーッカッショニスト塩澤文男

生きる糧となる表現媒体が乏しい時代において、
小池表現は鋭いナイフのように静と動が混然一体として光る。
それをどう使うかは観る側に委ねられるが、
いつしか崖っぷちに追い込まれ背中から刃物を突きつけられているような感覚を覚える。

カンボジア古典舞踊家 カンボジア舞踊企画・教室SAKARAK(サカラッ)主宰山中ひとみ

生命力に溢れる自然、仏教や基層信仰と共に生きる人々、内戦の傷跡が残る都市、国のアイデンティティをかけて復興に取り組む芸術家達の姿…カンボジア古典舞踊はかつて、猥雑な命の純粋さと力の象徴であった。しかし経済発展と共に、カンボジア人達自身の関心も、今は商業芸能やポップアートに向けられ、古典芸能は昔程の輝きを持たない。「混沌の魔術師」小池博史氏が放つ新たな一撃が、一筋の光とならんことを切に祈る。

イラストレーター佐藤 ジュンコ

舞台上の全ての音、歌、語り、躍動する身体に、目にするもの耳にするものすべてに胸を打たれ、手がしびれるほどの拍手のあとも離れがたく去りがたく、この演劇を追いかけていこうと決めた。遠い国の遠い昔の物語に出会って、私もこの世界の一部なのだと感じた。気持ちの感触はいまも変わらず鮮やかなまま、目が耳が肌が脳が心が、再会を待ち焦がれている。

SCHEDULE

  1. 2020.07.04 17:00〜 中野ZERO大ホール チケット予約開始! 予約サイトはこちら
  2. 2020.08.01 17:00〜 中野ZERO大ホール 公演スタート